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2011年 新春インタビュー 木村社長に聞く 「難局を乗り切る」



初夢や鳥獣の里で戯れん
初夢や鳥獣の里で戯れん

今年の社長方針で「難局」という言葉が出てきましたが、確かに色々な意味で難局ですが・・・

社長 まず国際政治が難局です。多くの国で指導者の交代が一気に行われます。「2012年問題」といわれています。日本の政治も、財政再建、税制改革、社会保障改革やTPP参加問題等、懸案事項山積みですが、菅政権は身動きが取れない状態になってきています。世界経済は米国、欧州の金融情勢や通貨戦争が難局の背景となっています。日本経済をみると、円高、デフレ、株安や失業率が難局を表しています。

当面の景気の推移はどのように見ていますか?

社長 日本経済は、08年9月のリーマンショックで急激な落ち込みを経験し、 09年3月をボトムとして、V字回復の局面にはいりました。二番底か上昇継続かが課題です。私の予測はゆるい上昇が6割、二番底は3割ほどの確率と思っています。先ほどの難局が景気を抑えますので、回復しても弱い回復が続くと思います。

<日本経済の難局>

日本GDP(前期比年率)

難局を一気に解決する方策はありませんか?

社長 日銀がお札を大胆に刷れば、円高もデフレも解決し、全てうまく行くという考えるエコノミストがいます。

「お金を刷れば、物価が上がり、景気がよくなる」ということですね。

社長 現在、世界経済の舞台で起こっている大きなことは、米国対欧州の通貨戦争です。ドルとユーロが切り下げ戦争をしています。ドルもユーロも中央銀行がどんどんお札を刷って通貨安に誘導しています。その背景には、両陣営とも輸出増加で景気を立て直そうとしていることがあります。実は米国と欧州は輸出のライバルなのです。まず米国も欧州も大きな農業輸出地域です。また、民間旅客機の分野でも、激しいライバルです。この通貨戦争の煽りを食らっているのが日本です。だから、黙って見てないで、日本も戦争に参加すれば、というのがこの立場のエコノミストの意見です。

中国も元を切り上げません。何故日本だけおとなしくしているのですか?

社長 ハイパーインフレになるとか、日銀から一般銀行に金が移るだけで、市中に金はまわらないと主張するエコノミストがいます。そもそも日銀は今までやったことのないことはやりたがらない。「そんな事で日本経済が日銀を頼ったら、景気が悪くなれば、日銀頼りで、やるべきことをやらなくなる」と日銀は思っているのかもしれません。

日銀に物言う立場は、政府ですが、日本の政治はそこまで手が廻らない。

社長 ただ日銀もその方向に舵を切ったのは事実です。昨年11月発表の金融政策では、国債の買い入れに加えて、社債、投信などの金融資産の買い入れに踏み切っています。しかしこの程度では、焼け石に水みたいなものです。

ところで、この政策はもともと米国の学者でも議論の分かれるところですね。

社長 積極論の学者が米国FRB(連邦準備制度理事会)の議長になったから、米国はどんどんお札を刷ってきています。バーナンキ議長は、かって日銀にたいして「中央銀行がケチャップを買えばいい」といいました。確かにケチャップを買えば市中に金が廻ります。

買ったケチャップを中央銀行はどうしますか?冷蔵庫に入れておきますか?

社長 冷蔵庫では入りきれない。冷蔵倉庫に貯めておけばいいでしょう。

不況になれば、建設業者に穴を掘らせて、またすぐ別の建築業者に穴を埋めさせる、という話に似ていませんか?

社長 まあ似ているのですが、違うようです。穴を掘るのは、ケインズ政策で、不況時の公共投資で供給と需要のギャップを穴埋めしようというものです。それに対して、日銀がお札をするのは、「調整インフレ」といわれる政策です。デフレ不況に陥った時、中央銀行がお札を刷り、インフレ傾向に誘導すれば、国民は財布を緩めて、内需が出てきます。片方は、公共投資の増大を狙い、もう一方は、内需拡大を狙うものです。

お札を刷って、ケチャップを買うか、穴を掘るか、ということでしょうが、効果は違うのでしょう。ケチャップのほうは、デフレを克服し、円高にも有効である、とういうことですね。

社長 この「調整インフレ」を提唱したプリンストン大学教授ポールクルーマンは、2008.年にノーベル経済学賞を獲得しています

<武士道>

武士道

世界も日本も、わが社も難局に直面していますが、難局と戦う勇気ということで、武士道について今日はお伺いしたいと思います。先日「現場主義の武士道」という社長の話を聞きましたが・・・

社長 「毎日戦いに明け暮れる戦国の武将(別に武将でなくても、兵士でいいのですが)は、我々企業人と共通したところがあるのではないか」というのが私の発想です。我々企業人も毎日戦に明け暮れしています。つまり戦が日常なのです。それに対して、武士道を語っている多くの人が、戦いを日常とした人ではなく、「単に空想上の武士道を語っているのでは」というのが私の懸念です。ただきれいごとの武士道も必要性は認めるのですが、我々とは違うという感覚を近年持つようになりました。

「戦いの日常性」ということですが、もう一つ、「運命性」みたいなことも言われた気がしますが?

社長 戦いを選んでいるわけではないですね。その様な立場に立たされた、あるいは、立ってしまったわけです。場合によれば「逃げることができなくなってしまった」わけです。

運命を悲劇と捕らえるか、どうかがポイントでないですか?

社長 謙遜して言えば、悲劇にしないための処世術、それが武士道かもしれません。

謙遜しすぎかも知れません。

社長 よく「社畜」という言葉がありますが、会社によって飼いならされている、ということですが、会社の指導者も運命で働いているわけですから。誰も飼っている主体はありません。私を含む指導者もその立場に運命付けられた人間なのです。人生を選択なんかしていません。

社畜と考えるか、天命と考えるか、そこが武士道との分かれ目、ということですか?

社長 何も、天とか神とかそんなややこしいものを持ち出す必要は必ずしもありません。孔子も孟子も必要ありません。ただ、天とか、神とか、孔子とか孟子を持ち出す人を否定するわけではないのですが、そんなことない人も立派な武士道だと言いたいわけです。

偉そうなことが武士道の本質ではないということですね。

社長 具体的に考えて見ましょう。仮に中卒の方が企業に居たとして、その方が企業の戦いの中で人生をかけて戦ったとします。そして別に信仰も哲学もなかったとします。また、どっかの大学教授が儒教で武士道を語った、とします。どちらが武士道らしいのですか?どちらのほうが、それらしいのですか?

一人の人間という底辺から見るとなるほどと思いますね、処世術というよりも、やはりそれは哲学ではないですかね?

社長 武士道の根幹は、情念みたいなもので、体系だったものではないので、情念的哲学と言ったほうがよいかも知れません。

一体その情念って何なのですか?

社長 人間に共通のもので、人類の進化の過程で生まれたと、私は考えていますが、日本人にとっては日本の歴史のなかで生まれたと思いますが、中国人も西洋人もそれぞれの歴史の中でそれを持っている。西洋人では騎士道となるのかも知れません。

個人レベルでは良く分かりますが、国家レベルになるとどうなりますか?

社長 「国家の品格」も重要ですが、日本国の企業が国際競争に負けてしまったら、どうなりますか?子供手当ては勿論、国立大学の給与も払えなくなります。

国家の品格

「ナンバー2で何故いけないか」という国会議員は、国際競争が何か分かっていない。国際競争の前線で戦っている人間が分かっていない。

社長 尖閣の海で命を懸けている、海上保安官の人間としての意味も分からない。しかし、「国家の品格」の著者のみならず、新渡戸稲造も、武士道を語るのに何故儒教を持ち出すのですか?何故中国の哲学で語るのですか?中国人が中国の哲学で語るのならよく分かりますが・・・

よくあります。日本は欧米化して困るという人が、中国の美徳でものをかたる。

社長 「国家の品格」の著者もそうでしょう。欧米化は嘆くのなら、中国化を何故嘆かない?念のため、言っておきますが。孔子も孟子も私は尊敬していますが、同じようにサルトルもデューイも尊敬している。でも日本人だからどっちも合わない。

多少怒った新年になりましたが、今年もよろしくお願いします。