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東京京浜ロータリークラブ例会卓話

テーマ 「B.フランク・コリンズ」
日時 2008年07月22日
会場 高輪プリンスホテル


卓話の要約

<ステンハマー>

 05-06年度RI会長、ステンハマーは「超我の奉仕:Service above self」をその年のRIテーマとし、次のように述べている。

 「1911年、ロータリアンは『超我の奉仕』という標語を、熱意を持って採択しました。それは、この標語が生まれたばかりの組織が発展途上にある中、その理想を巧みに言い表していたからです。それから95年間、この標語は、私たちが人道的奉仕を遂行し、高い道徳的水準を推進し、国際理解と平和のために活動する上で、根底をなす動機となってきました。・・・」

<ミネアポリス・RC記念誌>

  •  1935年刊行されたミネアポリス・ロータリークラブの記念誌には、「ポートランドで行われた全国大会で、フランク・コ リンズがスピーチをして熱狂的に受け止められた」「スピーチで彼は、ミネアポリスロータリーが採用していた、『Service not self』を強調した」と書かれている。これには「スピーチが熱狂的に受け入れられた」と書いてあるが、採択されたとは書いてなく、しかも標語は「超我の 奉仕:Service above self」ではなく、「Service not self」となっている。

<ゴールデンストランド>

  •  オレン・アーノルドが1966年に書いた「ゴールデンストランド」を読むと、第二回全国大会についての記述がある。ミネアポリスの会長、弁護士フランク・コリンズがシェルドンの次に大会で演説し、「Service not self」は「He profits most who serves best」と一緒に標語(モットー)として決定された、と記述されている。また、「Service not self」を「Service above self」に変えようという提案もされ、満場一致で採択された、とも記述されている。

<ポートランド大会議事録>

  •  1911年にポートランドで開かれた、第二回全国大会の議事録を見ると、フランク・コリンズが非公式に短い演説をしたと記述されているが、どこにも「Service not self」または「超我の奉仕:Service above self」が採択されたという事実は書かれていない。

     どうも「超我の奉仕:Service above self」という標語をめぐり、ロータリーの歴史に大きな混乱があるようだ。混乱のひとつの原因は、シェルドンの演説が(実際はチェスペリーが代読した)議事録に載せられているのに対し、フランク・コリンズの演説は議事録には載せられておらず、一体何を話したのか、わからなかったことにあるようだ。実際、議事録に載せられなかったコリンズの演説原稿は長くに亘り、エバンストンのRIの倉庫に眠っていたようだ。

<コリンズ演説の原稿>

  •  しかし、最近(2003年)長い眠りから覚めて、コリンズの原稿が陽の目を見ることとなった。源流セミナーの主催者田中毅PDGはRIの倉庫からコリンズの原稿を探し出してきた。「ミネアポリスではどのようにしたのか」というタイトルの原稿を読むと、コリンズが新しい奉仕理念を提唱したのではなく、単に、ミネアポリス・ロータリークラブの運営方針を発表したに過ぎないことがわかる。ついでではあるが、「ゴールデンストランド」では弁護士となっている、フランク・コリンズの職業は、ここでは、「果物の卸売り業」となっている。
    コリンズ演説の要旨をまとめると次のようになる。
    ① 自己の利益を第一にロータリーに参加するのは間違い。
    ② 会員同士が助け合い、会員同士の取引を拡大する。
    ③ 会員同士の取引に限界があるので、ロータリアン以外に広げる必要がある。

<互恵と親睦>

  •  1911年当時、ロータリー運動は相互扶助の運動であり、「互恵と親睦」がロータリーの目的であった。「Service not self」もその枠組みの中での話しであり、簡単に言えば、「Give and take」というような意味で、決して「自己犠牲の奉仕」や「無我の奉仕」という意味ではない。そして「Service above self」は1920年頃から使われ始めているらしいが、「ゴールデンストランド」でいう、ポートランド大会の動議で決議されたというのは、間違いであろう。したがって、提唱者は不明で、もともとの意味も不明である。現在は「Service above self」を「利己を超越して他人に尽くす:超我の奉仕」と解釈されており、現在のロータリー運動でも重要な意味合いを持っているが、歴史の流れの中での意味づけもまた必要な事であろう