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2001年 新春インタビュー 木村社長に聞く 「ユビキタス社会」


木村社長

新年おめでとうございます。恒例の新春インタビューです。まずは例年通り、景気の先行き、からはじめましょう。円安、株安が進行しています。「3月危機」ともいわれていますが、いかがでしょうか?

社長 自立型回復、民需回復パターンに入っているかどうか? が問題の焦点です。企業収益、鉱工業生産、機械受注は良好に推移してきましたが、ここのところかげりがみえてきています。日銀短観が多少落ちているということも、マインドに懸念がでてきていることを意味します。株価、米国景気の動向をみると、金融危機の可能性もあるということです。
米国発の株安ですが、日本もアジアも株安です。

では、株を売ったマネーはどこへ行ったのでしょうか?

社長 まず米国の影響の少ないヨーロッパへマネーは流れています。それから、金つまりゴールドや物に流れていると思います。日本では、国債にまわっています。

世界的不安ですか?

社長 事の根本は、米国経済ですから、世界不安になります。果たして米国は、ソフトランディングかハードランディングか? 米国内でも意見は二分されていますが、わたしは、ソフト:70%、ハード:30%とみています。ハードランディングすれば、世界的な衝撃が走ります。

ソフトランディングならば、日本もアジアもセーフということですか?

社長 いいえ、米国がソフトランディングしても、日本の景気の腰折れが懸念されます。米国のソフトランディングの範囲は、ダウ平均で30%程度ダウンの範囲ですが、ダウ平均7000ドルでは、日経平均は1万円近くまで落ちるでしょう。そのような状態で、自立回復に離陸できないどころか、金融危機の懸念も残ります。米国ソフトランディングの場合でも日本の景気が腰折れる可能性は、50%とみています。自立回復と腰折れ50:50です。もし、自立回復と腰折れとダラダラの三つケースを分けるなら、33:33:33の可能性です。ただし、これは、米国ソフトランディングのケース内の話です。

米国経済ですが、米国内での見方はどうでしょうか? 楽観優勢から、悲観の方にシフトしているように見えますが・・・

社長 米国の景気は予想以上に急速に降下しているように見えます。1月3日のFRBの金利引き下げは、予想より早いものでした。ハードランディングの確率は40%としている米国のシンクタンクもあります。私が昨年「神のみが知る」といった、米国のバブルからのランディングがいよいよはじまるわけです。シートベルトをしっかり締めてランディングに備えたいものです。

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ユビキタス・ネットワーク

「ネットバブルの崩壊はIT革命のおわり」という人も多分いると思いますが、

社長 15年前ぐらいに、「高度情報化社会」というブームがありましたが、ブームが下火になった時、「高度情報化社会の終焉」と、浅田彰氏が言っていました。私は「高度情報化社会というブームの終焉」と言い直したほうが適切だと思っています。今回も、「ITブームのおわり」であって、IT革命はまだはじまりです。ブームではないところでどんどん進展しているのかもしれません。これから本格的に進展する、BtoBにしても、ブロードバンドにしても、ブームの華やかさはないが、社会や文化の根底から揺さぶって、変革するでしょう。
革命がおきると、すぐにバラ色の夢を見る人達がいます。革命が進行すると、バラ色の夢は裏切られる、すると、「ほら見たことか」と革命に反対の人はいう。しかし、革命は終焉するわけでなく、どんどん進行していく。そんなところではないでしょうか?

浅田彰氏が「高度情報化社会の終焉」と言っていましたか?

社長 高度情報化社会が終わって、工業化社会が終わった、みたいな感じで書いていました。多分現在は彼の考えも修正されているとおもいますが、私から言うと、「高度情報化社会が進行して、IT化社会と言う名前に変わった、そして工業化社会は脱工業化社会に変質していった」ということです。高度情報化(=IT化)が、経済を、サイバー化して、高速化して、ネットワーク化して、バーチャル化していった。

21世紀はサイバー化、ネットワーク化やバーチャル化がどんどん進展していく世紀ということですね。

社長 「ユビキタス・ネットワーク」という新語が出ていますが、人間関係でも、「偏在」、とか「やわらかな絆」とか、「共創」とかキーワードが出ています。田中康夫氏の言葉を借りれば、「分散としなやかな絆」というようなイメージで社会や人間関係の未来を捕らえることはできるのですが、しかし、反面、高度情報化=IT化は大量の処理される、情報というマス(量)が主役であり、巨大な規格化されたネットワークを通して、コミュニケーションを実現するわけですから、規格化、とかマス(量)という面で、工業化社会や近代の延長線上にあるわけです。

そのユビキタスというのは

社長 今年の流行語大賞を狙う、新語です。ラテン語で、「偏在する」という意味ですが、もともとは「神は遍在する」という意味だそうです。「ユビキタス・コンピューティング」というのは「多様な端末を使って、いつ、どこでも、ストレスなく気楽に、ネットワークにアクセスできる」と言うことでしょうか。もともとはゼロックスのパロアルト研究所の「ユビキタスコンピュータプロジェクト」が流行の源みたいです。もっと違った意味でこの新語を使っている人もいるようで、偏在したプロセッサーが自律的な働きをする事を、意味していると言っている人もいます。「偏在して、自律的なプロセッサーと人間の共生」を意味づけている人もいるようです。21世紀のイメージとしてなんとなく、いけるような気がしますが、でもこれも、革命の夢で、やがては裏切られるような感じがします。

夢やぶれて、山河あり

「機械と人間の共生」が夢で、先の話の、「分散としなやかな絆」も夢ですか?

社長 まだまだありますね、古典的なのはマーシャル・マクルーハンの「グローバルビレッジ」です。これが、夢の原点でしょうね。

近代を超えると、そこにはユートピアが、ということですか?そういう幻想みたいなことですか? しかし、何事にも、光と影がありますから、影を小さくして、光を大きくするという努力をする必要はあるのではないでしょうか?

社長 影を小さくして、光を大きくする、という努力は必要だと思います。でも、それで問題の解決はできません。しかも、それよりも危険なのは、光だけを見て、影は見ないことだと思います。いわゆるプラス思考というやつです。

夢を持つのは良くないことですか?

社長 20代の青年が夢を持つのは様になりますが、40代や50代の中年が夢を持っても、様にならない。でも本当は、20代の方が現実的で、中年や老年がロマンチックで、どうしようもならないですね。
しかし、人間はそういうものかも知れない、と最近思うようになってきました。先日「3億円事件」のドラマをテレビでやっていましたが、(北野)たけし氏が主演でした。3億円をゲットした犯人は、「夢だ!」言うことで、米国で事業を行うわけですが、それが失敗します。その時言った、犯人の言葉が、「人間って何なんだい?」という言葉でした。そして日本に帰るところで、ドラマがおわるのです。

「国破れて山河あり」の変形で、「夢やぶれて、山河あり」ということですね。

社長 そう言うことです。人間は故郷に戻れば良い。しかし、人類は戻るところがあるのかな?というのが、最近考えている事です。科学技術の発展も宗教哲学の発展も、経済の発展も、人類の止まらない夢ですから。

「土に戻れ」というのがありませんか?

社長 農耕に戻れと言うことですね、どっかの宗教団体の人がそう言っていました。農耕の初期に戻れば、高等宗教の弊害から逃れることはできます。しかし東大の松井考典教授は農耕こそが人類が狂いだした、原点だといっています。狩猟生活までは、人間は生物圏で生活していましたが、農耕から、人間圏をつくりだした、そして人間圏のなかに、いろいろなシステムを作り出していった。単に物的システム、経済システムだけでなく、宗教や哲学という、ソフトシステムまで、懐かしい言葉ですが、「共同幻想」をどんどん作っていったと言っています。
 昨年の3月ごろ、サン・マイクロシステムズの創設者:ビル・ジョイが、雑誌「ワイアード」に長文エッセイを発表しました。題名は「何故未来は我々を必要としないのか?」 でした。内容は「遺伝子工学、ナノテクノロジーやロボット技術の進歩が人類の滅亡を招く」と言うものです。米英の新聞やテレビは大きく取り上げましたが、英タイムズ紙は「アインシュタインのルーズベルトへの手紙に匹敵」と論表しました。その後米国の大学でビル・ジョイを招いてのシンポジウムも行われましたが、どのシンポジウムも大入り満員で、関心の高さを示しました。また、ワイアード誌7月号は反響特集を行い、3月号のエッセイへの様々な意見を特集しました。楽観論も悲観論も載せられました。楽観論としては、「技術の問題は技術が解決してくれる」という意見や、「人間性は最終的にはプラスに働く」というような意見が載せられました。悲観論では、「遺伝子工学はプルトニウム同様の管理が必要=すなわち、管理不可能」と言う意見や、「パンドラの箱は開かれ、もはや手遅れ」と言う意見が出されました。

もう少しエッセイの内容を話してもらえませんか。

社長 論旨の一つは、「情報そのものが兵器になる」と言うもので、世界は、乗客全員が「墜落ボタン」を押せる飛行機みたいなものになる、と言っています。そして、「知的探求や情報の流通の制限が必要」と言っています。さらに、もっと怖いことも言っています。「先端未来技術を駆使して造られた、サイボーグやロボットが人類を淘汰してしまう」と言うことです。

2001年宇宙の旅のように、コンピュータが人間に反乱を起こす、と言うような話ですか?

社長 全然違います。サイボーグやロボットが自律的に進化をはじめる、という話です。

しかしロボットが人間並みになるのは、相当時間がかかるはずでは?

社長 生物工学的に脳を造ったり、脳を補強したりしてはどうでしょうか?そんなに時間はかからないはずです。100年や200年で、出きるかも知れません。1000年のスパンで考えると間違いありません。50年で生物工学的な人工筋肉を持ったロボットが出現します。生物工学的な脳(あるいは補強された脳)は200年あれば出きるはずです。脳のメカニズムの解明が難しい事を、人工脳の開発の難しさに指摘する学者もいますが、メカニズムの解明は必要ありません。生物工学的な再生技術を確立させれば人工臓器のように脳を(あるいは脳の一部を)再生させることができるはずです。そして遺伝子操作で核となる細胞の遺伝子を変化させてやれば、様々な脳ができるはずです。そのような脳を持った、サイボーグやロボットがまた、脳を造りはじめれば、自律的な脳の進化の過程に入ってしまうわけです。いままで生物の進化というのは、遺伝子の突然変異と自然淘汰でゆっくり進行するものだったのですが、遺伝子を人間・・いやサイボーグやロボットが操作することで、生物の進化のメカニズムが根本的に変化してしまうわけです。

まさに進化という神の領域に人間が、いやサイボーグやロボットが踏み込んでしまうわけですね。だから、そうならないように、って言ったって、誰かがやり始めれば、おわりですね。

社長 それを防ぐことを人類が出きるかどうか?人間のクローンというのがありますね、あれを防げるかどうか、という問題と相似した問題だと思います。私の見解はノーです。なぜなら、人間のみる夢は、人間の本質だからです。人間のクローンを夢見る人の、夢は最終的には止める事は不可能です。私が先ほど人は夢破れて、故郷に戻れるが、人類は故郷に戻ることができないと言ったのはそういう事です。だから私は北野タケシ氏にいってやりたい、「人間って何なの?」という問いにたいする答えは、「人間って夢を見つづける動物」だって。「時には、それは自己保存や種族保存の本能も越えてしまうのだ」と言ってやりたい。

困りました、流れに任せるより手だてはありませんか。

社長 人類が淘汰される時期をすこしでも延ばす、それが人類のできることだと思います。運命にすべて身を任せるのではなく、流れに流されながらも、最大限の努力をすることだ、というのが私の考えです。まー、曾孫の世代以降は、だんだん縁が薄くなっていく、1000年後の人類なんて、私には関係ないというのも、理解できないことはないとも思えます。

いつまで責任があるのか?今の人類は、一万年後の事にも責任があるのか?と言うことになりますね。

社長 そういう話になります。100年後と1000年後では大違いです。100年後良いことでも、1000年後は、人類の滅亡につながったりします。反対もあり得ます。

立花隆氏が社長と似たような話を新聞に書いていましたが

社長 「生物工学により人類は神の領域に踏み入った」と言うのは彼の表現です。彼は人間の英知で必ずこの問題は克服できると言っています。しかし、克服できるという根拠はなんにも提示していない。

技術の進歩を一つ一つチェックすることで、克服できると言っています。

社長 そんな事できやしない、クローン人間もチェックできない。金があれば、アフリカの島を買い取って独立国にすれば、どこの法律も関係ない、自由に研究できます。

先ほど農耕が人間圏を作りはじめた、と言う話がありましたが、その延長線上でこれらの事は考えられるのでしょうか?

社長 延長線上での出来事なのですが、松井教授の言う、「地球・宇宙中心主義」ではこの問題は解決できないと思います。人間を卒業した、サイボーグの方が、賢いとすると、サイボーグの方が地球・宇宙中心主義に合っているわけです。人間は地球・宇宙中心主義に合わないから淘汰されるわけですね。

サイボーグの方が、地球・宇宙中心主義にあっているわけですか?

社長 松井教授は地球・宇宙中心主義について次のように言っています。 「21世紀の人類のあり方を考える時、20世紀の幻想に基づいて考えるか、あるいは地球・宇宙中心主義に基づいて考えるか、それによって答えは180度も方向が異なる。それは又、人間とは何か、その定義に関わる問題でもあるだけに、結論を下すのはむずかしい。」 例えば、環境問題や資源問題を考えると、(20世紀)夢や幻想が諸悪の根元だとすると、夢や幻想にあまりとらわれないサイボーグは、この問題の克服に向いているということになりませんか?

とすると、地球・宇宙中心主義というには、人間には合わないということですね

社長 農耕を開始して以来、人間圏という勝手なものを作り出して、ついでに宗教や、イデオロギーなどの幻想を作り上げている、というのが、人間だと松井教授は言っているわけです。

「20世紀の幻想」か、地球・宇宙中心主義かと松井教授は言っていますが、「農耕を開始して以来の、人間中心主義」に基づくか、地球・宇宙中心主義に基づくか、と言ったほうが正確なのですか?

社長 そのほうが正確だと思います。それでね、じゃー、農耕以前は人間中心主義がなかったか、あるいは、農耕以前は、人類は地球・宇宙中心主義だったのか、というと、そうでもないのではないか?という疑問がわいてきます。
時間も無くなってきましたので、主題に戻りますと、前述のビル・ジョイの論文に対して「パンドラの箱は開けられた」という意見がありました。問題はいつパンドラの箱は開けられたか、と考えますと、「先端技術を人類が獲得した時」というのが一つ回答ですが、2つめは「20世紀の幻想を持ってから」という回答です。三つ目は「農耕をはじめて、人間圏をつくった時」という回答です。まだ四つ目がありまして「人間が誕生してまもなく、人間が夢を持ち始めた時」という回答です。いかがでしょうか? 三億円の犯人、北野タケシに言ったことと同じ事を松井教授にいってやりたいと思います。「人間とは、夢を見る存在だ」って、「地球・宇宙中心主義という、新たな夢は、じつはもっと厄介な事を引き起こす」って、言ってやりたいと思います。

――― 時間です。今回も長時間ありがとうございました。